SSブログ
テックスメックス ブログトップ
前の10件 | 次の10件

Isidro Lopez(2) [テックスメックス]

HAC-7670.jpg

 今回取り上げるのはIsidro Lopez。2004年、Haciendaから出された、おそらく追悼盤と思われるアルバム、"Recordando"です。以下のサイトで試聴もできます。

http://www.haciendarecords.cc/Merchant2/merchant.mv?Screen=PROD&Store_Code=HROC2000&Product_Code=HAC-7670+C&Category_Code=Isidro+Lopez

 このブログでは2007年8月5日の第28回目に続いて2度目の登場となります。

http://texmexstrikesagain.blog.so-net.ne.jp/2007-08-05

 1960年代、Sunny OzunaやLittle Joeの登場あたりを中心に取り上げてきた本節の最終回にIsidro Lopezを選んだのは、彼が、1950年代、60年代から80年代に至るまで常に現役として活動し、Orquestaというスタイル形成に貢献し、さらにはMusica Tejanaという大きな潮流において、常に中心人物の一人として一定の存在感を示し続けた人物であったからです。

 ここでは、彼の"Recordando"を取り上げ、その音楽性を検討してみたいと思います。
 このアルバムは、どういういきさつで作られたか、ライナーや録音データ等がないので詳しいことはわかりませんが、晩年にHaciendaで録音されたもののベスト盤の可能性も高いと思います。2004年、彼が没した年にRecordandというタイトルで出されたので、彼の追悼盤と判断して間違いないでしょう。

 ここではわたしの知る限りで、このアルバムから伝わってくるものを確認してみたいと思います。
 まず、前回取り上げた、"La Lumbre"と比較すると、こちらはランチェラが10曲中7曲を占め、もう1曲はコリード、あとの2曲はボレロ。アコーディオンにアルト・サックスをユニゾンでかぶせる、というコンフント・スタイルです。サウンドを聞いた限りでは、1960年代録音と70年代の録音が混在している、という印象です。ウッド・ベースの音が時代を感じさせるものが多く、若干の曲でエレキ・ベースを使用したモダンな感じの演奏があります。とすればいくつかの曲におけるアコーディオンはTony De La Rosaの可能性も高い。
 それに対して、この"Recordand"はどうか。古い録音も含まれているけど、比較的新しい録音のほうが多い。おそらく70年代だとしてもかなり後期のほうでしょう。ベスト盤だからいろいろな曲を集めてきたのだろうけど、14曲中ランチェラ6曲、バラーダ4曲、ボレロ1曲、クンビア2曲、カントリー1曲となっています。ただし、バラーダのうちの1曲はHank Williams の"I'm So Lonsome I could cry"。またクンビアのうちの1曲、"El Chivirico"は古いラテンで、Xavier Cugatも演奏していたし、東京キューバンボーイズも"チビリコマンボ"としてレパートリーとしていました。もう一つのクンビア、"El Gavilan Pollero"は、わたしの記憶が確かであれば、Freddy Fenderも演奏していました。
 全体的にフルラテンオーケストラの占める割合が多い、という印象を受けます。マンボをクンビアにアレンジしたり、Hank Williamsの曲をバラードとして取り上げたり、ポルカの曲でもホーンアレンジなど、さまざまな工夫がなされています。Isidor Lopezの様々な側面が伺えるのが、このアルバムの特徴といえるでしょう。
"El Rumble"と比較するとその多様性は際立っています。比較する事自体の有効性もありますが、Isidro Lopezの音楽のさまざまな側面を理解する手がかりにはなるでしょう。
 こうして、常にMusica Tejanaの第一線にいつづけたことが、彼を"Father of Tejano Music" と呼ぶ由縁なのでしょう。
 50年代、ラテンやジャズ、カントリー音楽などの影響を受けたIsidro Lopezと、60年代、RockやSoul,R&Bからの影響が強いLittle JoeやSunny Ozunaたちとの世代的な対比という視点からIsidro Lopezの音楽にスポットをあててみるのも面白いかもしれません。
 意外に50年代に音楽を初めたIsidro Lopezのほうが、カントリー、ジャズ、ロックンロール、ラテン、コンフントなどの音楽を客観的に把握することができ、それを糧として、今日まで、演奏を続けてきたのでは、という気もします。
 Little Joeの時代になると、もう巨大マスメディア時代に入り、流行とかトレンド(傾向)がある程度画一化されてしまっている。
 だからLittle Joeなどは、Isidro Lopezの音楽から教わることは多かったんじゃないか?
 これは推量ですが、わたしはこう考えます。

 Isidro Lopezは、1929年5月17日、テキサス州ビショップに生まれ、2004年8月15日、逝去。享年76歳、晩年はコーパスクリスティに住んでいた、とのことです。

 合掌。



  

Augustine Ramirez [テックスメックス]

51hyp6O94FL._SL160_AA115_.jpg

久しぶりのアルバム紹介。取り上げるのはAugustine"el Guti" Ramirezです。

彼を選んだのは、たまたま持っていたコンピュレーション盤に入っていた彼の音がいいな、と思ったから。

さっそくアマゾンで彼のソロアルバムを取り寄せ、聞いてみると、これもかなりいい。

という訳で、Augustine Ramirezです。

彼のことを調べようと思って、ネットを検索したら、けっこういろいろありました。

まず経歴から。

詳しいことは分かりませんでしたが、Janie's Record Shopに彼の紹介を見つけました。

http://www.janiesrecordshop.com/Pg-Artist_AugustineRamirez.htm

それによれば、1960年代初期から活躍していたRoy Montelongo bandのオリジナル・メンバーで、その後、ソロとして大成功した。1967年にデビューアルバム" Ojitos Traviesos"を発表、1967年から1971年までの間、他のどのアーティストよりも多くの売上を示した、とのこと。

また、彼は、シンガーとして。Joe Bravo, Carlos Miranda, Freddie Martinezらへ多大な影響を与えました("Musica Tejana", p177)


彼の1960年代の動向について、詳しくは分かりませんが、以下のデータがなにかを物語っているように思われます。

El Zarape Dallas (funk/soul/r&b listed only)

"EZ-122 Little Joe and The Latinaires- Crazy Baby / Why Don’t You Write Me (b-side by Johnny H. & The Sinceres) "
"EZ-262 Marky Lee with Agustine Ramirez Band- She's Looking Good / Soul Serenade "
"EZ-274 Little Joe and The Latinaires- All Night Worker / Dream Lover "
"EZ-279 Joel Salas & Corvairs- Tough Talk / Al Ver Que Te Vas "
"EZ-288 Joe Bravo y Su Orquesta- Teardrops From My Heart / Cuantas Veces "
"EZ-384 Joe Bravo y Su Orquesta- It's Okay / Anique Me Hagas Llorar "
"EZ-494 Augustine Ramirez- Let a Woman Be a Woman / El Aguila Negra "
"EZ-408 Mexican Revolution- Te Sigo Queriendo / Listen Here "
"ZLP-1023 Augustine Ramirez- El Cautivador LP "
"ZLP-1025 Alfonso Ramos- El Triunfador Vol. 2 LP "
"EZLP-1032 Los Idolos de Texas- S/T LP "
"EZLP-1035 The Mexican Revolution- S/T LP "
"EZLP-1036 Joe Bravo- Playboy 70 LP "
"EZLP-1044 Joe Bravo y Su Orquesta- Skidrow Joe LP "
"EZLP-1048 The Mexican Revolution- The Return Of LP "
"EZLP-1052 Augustine Ramirez- Copa LP "
"EZLP-1061 Johnny Canales y Su Orquesta- Camaron Camaroncito LP "


Little Joe, Mixican Revolution(Ruben and Alfonso Ramos)ら、これまで紹介してきたアーティストに混じってAugustine Ramirezの名前も見受けられます。


以下憶測ですが、Little Joeを見いだしたレーベル、Zarapeが、彼を中心に、テハーノの若い世代の音楽家を取り込んだのではないか、もうひとつ、このDallasのレーベル、Zarapeは1970年代、Corpus ChristiのFreddieに移行していったのではないか、とも考えられます。


上のデータは以下のサイトからの引用です。

http://www.texassoulrecordings.com/e.html

これはSoul Funk(それにBlues)マニアのサイトのようです。

日本のソウル・レアグルーブファンのサイトでもAugustine Ramirezは取り上げられているようですね。たぶん米国のカタログに、彼やLittle Joeの名前が出ているからでしょう。

興味のある方は、google やYahooで検索してみてください。

彼は、1970年代以降もFreddieを中心にレコーディング活動を続け、1999-2000年のアルバム、"Leyendas"でグラミー賞を受賞しました。もの静かで、柔らかい口調で語りかける、物腰のやわらかい紳士であり、彼自身のことについては、歌と演奏を通して表現する、とのこと。

そんなMusica tejanaにおいて多くの人々から尊敬されているAugustine Ramirezの音楽とはどんなものでしょうか。

1976年に発表されたアルバム" Damelo "を聞いてみることにしましょう(このアルバムでの名前のスペルは、Augustin Ramirez。 ほかにAgustin Ramirezという表記もある)。

このアルバムは、全部で12曲が収録されており、それぞれの曲で彼の個性が発揮されています。

まず最初の2曲は、オーソドックスなランチェラ。しかしとにかくホーンがタイトで、鋭角的に攻めるアレンジに特徴があります。噛み締めるような歌唱で、渋い。いままでバイオとか読むと、華麗な経歴から華やかなイメージが浮かび上がりますが、1976年に録音されたこのアルバムからは、通好みの渋さと力強さが伝わってきます。

タイトル曲は以下のとおり。

http://jp.youtube.com/watch?v=-il1BNOiHJ4

3曲目、"La Misma Raza"(「同じ人種」とでも訳せるのかな)は、イントロから歌に入るまでは4ビートで、Augustine Ramirezのギターワークが楽しめます。歌の部分は2ビートのポルカ。タイトルも含め、いろいろなメッセージが込められているようです。
4曲目"six o'clock high"はポーランド的なポルカ。60年代ジャズ・ムード音楽のテイストがある。ブレイブ・コンボにも通じるものがあります。
以下、おしゃれなアレンジを施されたオーソドックスなMusica Tejanaやジャズコードの曲が続き、最後にWillie Colon のサルサとWille Boboのラテンジャズ。彼の音楽的嗜好を示唆しています。

このアルバムを聞き、そしてネットから得たデータを読んだうえでの彼の印象は、まずジャズ的背景があるということ。単純なランチェラでもコード進行を分解して、アレンジに工夫を持たせています。と同時に、やはり、Onda Chicanaの世代だけあって、メキシコ系の音楽に対するアプローチにも明確な姿勢がある(Little Joe と同じ)。しかし彼がLittle Joeと異なるのは、Little Joeが積極的に、さまざまな音楽的な要素を、どんどん自分の音楽に取り入れていき、そのうえで自分の音楽を統合する、という感じなのに対し、Augustine Ramirezは、音楽の特定の要素、例えば、4ビートとか2ビート、ギター など、にこだわりを示し、歌唱も開放的ではなく、むしろ内面に訴える要素がある、ということ。

以上が、おおよその彼のイメージ・印象です。

実際の彼のイメージは以下のとおりです。

まず彼のサウンドから。

http://jp.youtube.com/watch?v=Ffch6v0yOhI

http://jp.youtube.com/watch?v=xG5wRDq8jw8

次は、Freddie Martinez, Sunny Ozunaらとのスーパーセッショングループ"Legends"の映像から。

http://jp.youtube.com/watch?v=1VS_x93eqvE

こちらはRamirezのギターワークが聞けます。

http://jp.youtube.com/watch?v=9ao_LMcq2Lo

現在はAustin在住というAugustine Ramirez。渋い声とギターワークで、まだまだテキサスの人々の心を把握し続けているようです。



























お詫びと今後の予定 [テックスメックス]

各位

ながいブランクがあいてしまい、大変ご迷惑をおかけいたし、誠に申し訳ありません。

オルケスタはあと2回やり、総まとめを行います。

そのあとは新しいチャプターへ。

8月は公私ともに慌ただしかったのと(ほんとにいろいろなことがありすぎた、という感じです)、アルバム選択で、かなり迷いがあり、結果的に読者の皆様にご迷惑をおかけいたしました。

もう少ししたら余裕も出てきますので、そしたらAugustin Ramirez とIsidro Lopezを書きます。

というわけで、『テックスメックスのご案内』、今後ともよろしくお願いいたします。

吾妻虎太郎

Latin Breed [テックスメックス]

latinbreedretro_AA240_.jpg
「わたしたち、Jimmy Edward や私自身、Latin Breedが努力してきたのは、わたしたちが"Middle Class"と呼ばれる人々の心に入り込んでいくことでした。わたしは(Little Joeの聴衆を)軽蔑しているわけではないが、わたしは、この特別の聴衆が好きなのです」("Musica Tejana", p.171 筆者による意訳)

これは、Sunny Ozuna 1980年5月Manuel Penaによるインタヴューから、部分的に引用したものです。

ここから読み取れるのは、Sunnyが登場したころのSan Antonioの住民が、Middle Classを形成し始めており、彼らをターゲットとした音楽が作り出されていった、ということ、そしてそれを担ったのがSunny & The Sunlinersを中心とした、主にSan Antonio出身の一連の音楽家たちだった、ということです。

その中のひとつが,上記インタヴューにも名前が出てきたLatin Breed。1973年、San Antonioで結成されたOrquestaです。創設者は、Gibby EscobedoとRuddy Guerra。

創設者のひとり、Ruddy Guerraは、Sunny Ozunaの旧友。彼は1950年代末から音楽活動をしているようです。現在は宗教活動が主な仕事。一応youtubeから。

http://jp.youtube.com/watch?v=5NCdVrQ4eCU

このバンドは長い活動期間において2人の偉大なシンガーを輩出しました(Jay Perezを入れれば3人)。

Adalberto Gallegosは今回取り上げる"Retro"のリードシンガーでもあります。

http://jp.youtube.com/watch?v=lDUNZHxQ0P0
http://jp.youtube.com/watch?v=J-t5mNC3r3Y
http://jp.youtube.com/watch?v=b4_TzMOapEU

先のSunnyのインタヴューにもその名前が出てきたJimmy Edward。

http://jp.youtube.com/watch?v=KjZa82qlCuM&feature=related


しかし、テキサスのメキシコ系音楽で、"Latin"という言葉を使うバンドは案外珍しいのでは?

Latin Breed という表記自体も英語。

そういえばSan Antonioでは、Sunny & The Sunlinersとか、このLatin Breedとか、バンド名も英語表記が多い。

彼らの初期のサウンドを追いかけてみると。

Barbara Lynnの名曲。
http://jp.youtube.com/watch?v=OpNO3VFAEmw&feature=related

あまりにもおなじみの曲。スペイン語の歌詞がほほえましい。
http://jp.youtube.com/watch?v=HH6ZBKgecWs&feature=related

たぶんこのころは、Sunny & The Sunlinersの影響が強く、Crazy Cajun的なスワンプ・ポップが重要なレパートリーだったのでしょう。

Youtubeの映像はあまりいいのがない。
http://jp.youtube.com/watch?v=iWxm0Ejkscw
http://jp.youtube.com/watch?v=TlEChlImGSI

ヒット曲のミックスから。
http://jp.youtube.com/watch?v=eRNbqm0hYU0


そろそろ本題。今回取り上げる2002年に発表されたアルバム"retro"。タイトルからも察せられるように過去を回顧するニュアンスがあります。

メンバーは、

Gilberto Escobedo -Sax,Frank Perez -Trumpet,Pete Garza -Bass, Richard Solis -Drums,
Adalberto Gallegos- Lead Vocals

を中心として、

Donald Garza, Al Gomez, and Lonny Lalanne-Trumpet, Val Malyos -Alto Sax, Sinuhe Aussennac, Jerry De La Rosa-Keyboards, Ralph Saenz-guitar, Henry Brun -Percussion, Joel Guzman-Accordion, Fred Soto-Sax

という布陣。

ポルカはもちろん、クンビア、3連のロッカ・バラード(たしかロス・ロボスはメキシカン・ブルースといっていた)、ボレロなどさまざまなリズムの曲をAdalberto Gallegosがみごとに歌いこなし、しかもホーンをはじめとするアレンジがよく練れている。60年代末のBeach Boysのような、リズムを内面化した、こった曲もあります。アルバムとしての完成度はかなり高いと思います。


優れたリードシンガーを多数輩出したLatin Breedのサウンドを聴くと、60年代、Sunnyたちが区別した洗練されたサウンドとメキシコ的な民族的なサウンド、という敷居がとれているな、という印象を受けます。

Rural Sound とUrban Soundの統合には、やはりLittle Joe の功績が大きかったんじゃないかな。

Latin Breedはその後継者という感じです。Joel Guzmanも参加しているし。

洗練されたアレンジのセンスをうまく活かし、しかもメキシコ的なメンタリティーをきちんと表現するバンド。

80年代から90年代にかけての電子楽器の普及もRural Sound とUrbam Soundの統合の遠因としてあるかもしれません。











nice!(3)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Steve Jordanの近況について [テックスメックス]

今年になってから、Steve Jordanに関する情報がぽつぽつと入ってくるようになりました。

この春、サンアントニオ在住の音楽仲間からのメール(か、もしくはブログ日記)に、Steve Jordanの体調がかなり悪い、みたいなことが記されてありました。

しかし、下記に記したライブ情報のこともあり、メール情報からのイメージとサイト情報のイメージが一致せず、中途半端な気分にもなっていました。

そこへ、約20年ぶりにコンタクトを取る事のできた音楽仲間より、メールにて最近Steve Jordanの体調が思わしくないようです、とのご連絡をいただきました。

そこで、先のサンアントニオの友人に確認を取ると、近年、やせ方がひどくて、腎臓だか肝臓だかの手術が必要かもしれない、とのこと。

サンアントニオの音楽関係者やミュージシャンはかなり心配している、とのことです。

とはいえ、それにもかかわらずライブ活動は続けているSteve Jordan。

いまはとにかく、彼の健康回復を、心から祈るのみです。

またなにかわかったらお知らせしたいと思います。

この記事作成にあたっては、餃子さん、MUSIC CAMPさんからのご協力を賜りました。記して感謝申し上げます。

MUSIC CAMPのサイトは以下のとおりです。

http://www.m-camp.net/cgi_shop/shop/shop/shop_index.cgi

Steve Jordanの基本的な情報源は、以下のとおりです。

http://www.estebanjordan.com/

また彼のライブ情報は上記からリンクできますが…

http://www.saluteinternationalbar.com/id29.html

以前はカレンダーにライブの日付を入れていたような気もしますが、最近は「毎週金曜日」、のような記し方ですね。


このバーでのライブ映像もあります。

http://jp.youtube.com/watch?v=4ofYhQ2mabU













Chicano Soul [テックスメックス]

462.jpg

 テックスメックスのご案内第5節は、オルケスタといわれるひとつの様式が1960年代以降どのように展開したか、について象徴的なアーティストを取り上げ、その背景もながめつつ、紹介を試みてきました。

 その過程で、というかもっと以前から、わたしの頭のなかに漠然と思い描いていたアイデア(概念)があります。

 それはSan Antonioをひとつの軸として考え、San Antonioと、San Antonioからみて周辺の土地、たとえばDallas, Austin, Houston, Corpus Christiなどの都市の音楽とを比較すると、なにか音楽的な違いみたいなものが出てくるのではないか、ということです。

 本節で取り上げたアーティストの活動場所・地域を確認してみると、まず、Austinから北東に位置したTemple出身で、レコーディングは、最初Dallas、後にはおもにCorpus Christiなどの新興都市や周辺都市でレコーディングを行ったLittle JoeやJohnny Hernandez、Sugerland出身で、1970年前後は、Dallas-FortworthからRio Grande Valley周辺で活動し,さらにその後は拠点をAustinに移したRuben and Alfonso Ramosらがいます。そして、San Antonio出身としては、Houston をベースとしたHuey P. Moe のCrazy Cajunでレコーディングを行ったSunny Ozunaがいます。

 漠然とした印象を言えば、いまこの記事を書いている時点において、Conjunto にしろ、Orquestaにしろ、新しい流行(モード)を創出したのは、メキシコ音楽の伝統と素晴らしさに着目し、そこに米国音楽のエッセンスをブレンドしようとした、San Antonioからみて周辺の土地で活動していたアーティストたちであったということ、そして、San Antonioのアーティストは、戦前からの伝統を受け継ぐか、もしくは、他の米国諸都市と同じように巨大化した米国大衆文化の洗礼を受けた人々のどちらかであった、ということです。

 San Antonio出身のアーティストに関して、例えばConjuntoでいえば、Don Santiago Jimenezや彼の息子たち、Flaco Jimensez, Santiago Jimenez Jr.、さらにHenry ZimmerleやTrio San Antonioなどのアーティストからは、(New OrleansのDixieland Jazzにように)より古いスタイルを現在に伝える姿勢が感じられます。その一方で、Sunny Ozunaのように米国メインストリームの影響を強く受けたアーティストもSan Antonioにはいました。
 それに対して、Little Joe 、Tony De La Rosaなど、いわゆる天才と呼ばれるアーティストの多くが、San Antonio以外の土地から出てきている、というのもまぎれもない事実です。

 こうした印象は極めて漠然としたもので、厳密に検証すれば、反例も多々出てくるかもしれませんが、あるレベルまでにおいては当たらずとも遠からず、とも言えると思います。

 このような思いを巡らしながら聞くととても面白いCDが、San Antonioにおける米国メインストリームからの影響を強く受けたアーティストたちを集めたコンピレーションアルバム、1960年代San Antonioのレーベルを中心にしたシングル集、" Chicano Soul "です。

 このCDは、Westside Soundとして3枚、Texas Group Tresuresとして1枚がシリーズで出ており、その1枚目となります。

 全25曲収録。おそらくすべてシングル盤からのものだと思います。そして全曲英語で歌われています。

 レーベルは、Mictlan Book and Music(FTR RECORDS というクレジットもジャケット裏にあり)。コピーライト等のクレジットはなし。たぶんプライベートレーベルとかコレクターズレーベルのようなところから出されたものでしょう。ちなみに編集したのは、カリフォルニア、イーストLA出身のRuben Morina。チカーノ・カルチャーの研究者のようです。現在、解説付き輸入盤として国内盤発売中なのでご存知のかたも多いと思います。発売元はBarrio Gold Records、ディストリビュートはMusic Camp。

 http://www.m-camp.net/cgi_shop/shop/shop/shop_index.cgi

 このCDで取り上げているアーティストは以下のとおり。

 Sunny & The Sunliners,Sounds,Danny $ the Dreamers,Royal Jesters,Jesse & the Crystals, Playboys, Henry & The Kasuals, Little Jr. Jesse & the Tear Drops, Dimas III, Bill Sol, Spider & the Play Boys,Little Henry & the Laveers, Danny & the Tejanos, Joe Jama & the Royal Jesters, Sunglows, Dino Bazan & the Dell-tones,J.Jay & the Dell-tonesなどなど。レーベルは、sunglow, Teardrop, Clown, Geno, Satin, Key-loc, Cobra, Dynamic,Metro-dome,などなど。たぶんすべてサンアントニオのレーベル(だと思います)。

 以上のアーティストの多くははyoutubeにもアップされています(映像は少ない。歌と画像のみがほとんどです。Sunny & The Sunlinersは省略)。Youtubeにアップされることにより過去や現在のイメージが付加され、音楽を巡る状況を立体的に捉えられるような気分になります。


まずRoyal Jestersは以下のとおり。

http://jp.youtube.com/watch?v=-cAl5NnI5B4
http://jp.youtube.com/watch?v=yvue8g469zc


たぶんDimas III& the Royal Jesters
http://jp.youtube.com/watch?v=vPWQBNCwdy8

Dimas IIIことDimas Garza関連。
http://jp.youtube.com/watch?v=shYiVzVyjVM&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=pVGbeAJdx6A&feature=related

Joe Jamaの1980年代の映像。
http://jp.youtube.com/watch?v=8G4Fgjt2I7k

Jesse & the Crystals1961年のヒット曲。彼らはhouston出身だそうです。

http://jp.youtube.com/watch?v=tQ-ne69kSzk

Henry & The KasualsのHenry PenaによるForever.

http://jp.youtube.com/watch?v=mBwR4rcstkY

この曲のオリジナルは"Please Mr. Postman"でおなじみのThe Marvellets。
http://jp.youtube.com/watch?v=1SRboZiWtuQ


 オリジナル曲以外では、Curtis Mayfieldの曲が2曲あります。

Falling in love with youのオリジナルはこちら。
http://jp.youtube.com/watch?v=MGTfHQk69zw

 きりがないので、これくらいにしておきます。

 ざっとこんな具合で、YoutubeにはChicano Soulの楽曲がかなりあります。映像ではなく、楽曲と画像の組み合わせが多い。


 このCDを聞いての印象は、全体的にはかなりゆったりとした、スローなバラードの楽曲が多いな、ということ。多くの曲でボーカルにエコーがかかり、気分は1950年代末から1960年代はじめのドゥーワップや初期ノーザンソウル。それこそCurtis Mayfieldたちが活躍し始めたころの時代からの影響が強い。

 これら収録曲がシングル盤で出ていたというからには、60年代という時代性を考慮すれば、営業的なターゲットとしてジュークボックスとラジオが念頭にあったことでしょう。Sunny & the Sunlinersの成功という先例を指摘するまでもなく、英語曲で、しかもラジオでヒットすれば、全米進出のきっかけになる、という思惑が関係者たちの頭の片隅にあったかもしれません。

 このCDのクレジットを確認してみると1963年ころから1970年ころまでの録音を収録してあるのですが、それにしては、こうした甘いバラードのシングルがよくも出され続けたものだ、という感が拭えません。70年ころの録音になると、このスタイルは少し時代遅れかな、という印象もあります。

 ただし、このコンピュレーションの編集者はカリフォルニア、イーストLA在住のチカーノ研究家なので、彼の感性のバイアスがこのCDに、かかっていることは否定できません。

 またこのCDに登場するアーティストたちの動向は、Doug Sahmと絡めても面白いかもしれません。昔、英国盤で出ていた同様のアルバム、"Border Town Jive"のライナーにも書いてあったように、Doug Sahmの次のアルバムに参加しているWestside Hornsの音は、このアルバムから聞こえてくるかもしれません、という表現が、もしかしたらこのCDにも当てはまるかもしれません。

 このCDは、San Antonioという都市の音楽の歴史を考えるとき、無視できないアルバムの一枚だといえるでしょう。




 
 









nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Little Joe(3) [テックスメックス]

21S6jcThkIL._AA115_.jpg

 はじめに、この5月8日から10日まで、サンアントニオにて第27回コンフントフェスティバルが開催されました。

 概要については、以下をご覧ください。

 http://www.guadalupeculturalarts.org/xicanomusic/tcfsched.htm

 またmixiの会員のかたは日本コンフント協会のコミュニティーをご覧ください。

 http://mixi.jp/view_community.pl?id=551700 

 しょうちゃんのブログにも写真あり。

 http://blogs.yahoo.co.jp/conjuntooyaji

 さて本題。だいぶ遠回りをしてしまいましたが、ようやくLittle JoeのCD紹介に入ります。

 すでに触れた通り、1970年代の彼は自らのレーベルを立ち上げ、独自の活動を行うようになっていくことになりますが、同時に、同時期、ConjuntoやMusica Tejanaを中心とするレーベル、Freddieを立ち上げたFreddie Martinezとの関係も深くなっていきます。

 彼らの関係は、基本的にはディストリビューションにおいてのみの相互協力で、いくつかのアルバムでFreddie制作によるアルバムがある、といったところでしょう。

 Freddieのホームページは以下のとおり。

 http://www.freddierecords.com/

 現在、Freddieで入手できるアルバムは以下のとおり。

 http://206.188.209.228/index.asp?PageAction=VIEWCATS&Category=105

 彼のディスコグラフィーは以下のとおり。
 Little Joeの場合、ライセンスが結構ややこしくて、Freddieでも以下のほかに、いろいろ編集盤が出ている可能性があります。

 http://www.peermusic.com/littlejoe/littlejoe.cfm?includepage=littlejoebio.cfm

そして彼のアルバムから、"Exitos Rancheros"," Caliente","Mas Caliente","Nosotros","Manana","Live For Schlitz vol 1", "Live For Schlitz vol 2", という7枚からの選曲。ただし、これらのアルバムのなかで、"Nosotros","Manana"の2作以外は、すべてがベストアルバム的な性格を持っているというややこしさで、ベスト盤のベスト盤という、いかにもラテン的・ラビリンス的なアルバムです。

 では、CD紹介。彼の代表曲といわれる名曲から。

 2枚目の1曲目、"Las Nubes(The Clouds")です。

http://www.imeem.com/erj1414/music/HMNgmFPJ/little_joe_y_la_familia_las_nubes/
 
 この曲は彼のオフィシャルサイトのテーマソングでもあります。

 http://littlejoeylafamilia.homestead.com/

映像はこんな感じ。

 http://jp.youtube.com/watch?v=OoS3Rim5kVk&feature=related

 1980年代に入ってからの演奏かもしれません。70年代の演奏については、Arhoolie制作の映画"Del Mero Corazon"から。最後のほう、少しだけ聞けます。

 http://jp.youtube.com/watch?v=LfJrEfeqiHU&feature=related

 実はこの曲"Las Nubes"は、彼らのオリジナルではありません。
 
 優れたコンピレーションアルバムである、"Tejano Roots"(本ブログ第3回目に取り上げています)、の24曲目にWally Armendarezのヴァージョン(こちらはワルツのリズムで)が収録されています。

http://www.arhoolie.com/titles/341.shtml

 これはIdealから1962年に出されたシングル盤。

 Wally Armendarezに関する資料は以下で調べてください。(Arhoolieのデータベースより)

http://www.fronteracollection.org/

 この曲以外でもLittle Joeの代表的な演奏曲はほとんどカバーで、Manuel Penaは彼のことを"Copy Cat"と揶揄しています。


 このCDでは、メキシコの大歌手で、ランチェラの名曲をたくさん書いた、Jose Alfred Jimenezの曲がなんと7曲も収録されています。30曲中の7曲だからこのCD全体の25%以上を占めている、というわけです。
 面白いのは、Jose Alfred Jimenezの曲において、Little Joeはかなり実験的な試みに挑戦していて、興味深い。メキシコのランチェラを、60年代A&M風にアレンジしたり、ポルカにしたり、と試行錯誤しています。

 そのなかで、1枚目の2曲目、"La Que Se Fe"は正統派の演奏で、Little Joeの代表的歌唱ともいえるでしょう。

 これはJose Alfred Jimenezの演奏。レコードから。

http://jp.youtube.com/watch?v=cgYAbqmCI98

 次はJose Alfred Jimenezではなく、同じメキシコの偉大な歌手、Pedro Infanteによる"La Que Se Fe"

http://jp.youtube.com/watch?v=5kjmK3_raAc

そのほか代表曲の映像、サウンドを網羅してみると。

 おなじみ"Cartas Marcadas"(1枚目の3曲目)

 http://jp.youtube.com/watch?v=09o74vBg2ck&feature=related

 "Por Una Mujer Casada"

 これも彼らの70年代の雰囲気がよく伝わっています。

http://jp.youtube.com/watch?v=-ZbYcr8VhxY&feature=re 

同じ曲をLos Alegres De Teranの演奏から。これがオリジナルかどうかは不明ですが、すごくいい。

http://jp.youtube.com/watch?v=RTiVWv4HMCA&feature=related


 あと重要な曲を網羅してみます。

 "El Alacran"(さそり)

 Tito Puenteあたりが演奏していそうな、かっこいい曲。オリジナルは誰かな?

 もちろんSteve Jordanのヴァージョンも有名ですね。

 この曲を取り上げたのは、Steve Jordan, Little Joe どちらが先なのでしょうか?

"Atotonilco"

  作者不明、だけど代表的演奏は勿論、Tony De La Rosa。

 Little Joeは Don Santiago Jimenezの曲もやっていて、"Al Cortar Una Gardenia""Margarita","Borrachera"の3曲(あとの2曲はメドレー)が収録されています。

 他の曲もいい曲ばかりで、しかもライブアルバムからもたくさん収録されているから、聞いてて楽しいアルバムです。

 これからLittle Joeを聞いてみようと思う方には、とりあえずこのアルバムか、あるいは上記の曲が収録されている他のベストアルバムをお勧めします。

 Little Joeについて、ようやく70年代に辿りつき、とにかくこのCDを紹介するところまで漕ぎ着けました。
 
 わたし自身がLittle Joeの紹介者として適任かどうか、と問われれば、正直いって自信はありません。ただ、「彼の音楽を育んできた音楽」を聞き続けてきた者として、そしてアナログレコード時代に多少彼の音楽を聞き込んだ者として、主に過去の記憶を蘇らせ、それに文献とWebの力を借りながら、ようやくここまでたどり着いた、というのがいつわりのない実感です。

 合計6回にわけてこの記事を書き続けて思ったことを記してみたいと思います。

 まず、このCDからよくわかるのは、Little Joeがかなり強くメキシコの伝統音楽というものに対してこだわりがある、ということです。
 Jose Alfred Jimenezの曲7曲のほかにもやはりメキシコの作曲家、Cuco Sanchezの曲を2曲取り上げています。またConjuntoの領域からも、Tony De La Rosa,Santiago Jimenez,さらにはLydia Mendozaにいたるまで、伝統的な楽曲を取り上げているのは興味深いところです。

 これは1970年代前半、米国全般にあったルーツ回帰的傾向を反映しているともいえます。またLittle Joeによるメキシカン・マーケット、チカーノ・マーケットを意識した選択、ともいえると思います。
 こうした自らのアイデンティティーについての意識と、そして彼が選択した60年代後半から70年代はじめの米国音楽の影響のもと作り上げたのが、彼の音楽、ということになります。
 
 Manuel Pena は、いわゆるOrquestaとよばれるホーンセクションを強調したバンド編成の音楽的到達点、そして終点としてLittle Joeを捉えています。

 彼以後、テキサスのポピュラー音楽は、Musica Tejanaと呼ばれることが多くなります。

 そうした時代を区分するほどの位置にいて、存在感を示したのが、Little Joe ということになるのでしょう。

 今回は、70年代までの彼の活動について、Chicanoという概念の意味合いも含めて、かなりざっくりとまとめてみました。
 彼の大きさを痛感した貴重な体験でしたが、不備も多々あり、今後の課題としたいと思います。



 

 

 

 

 





nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Little Joe とChicano Movement(3) [テックスメックス]

 前回はデラノのストライキを中心にチカーノ運動について紹介してみました。前回の補足になりますが、興味深いのは、この事件のなかにある種の「共感」が働いていることでしょう。

 メキシコ系の労働運動家Cesar ChavezとNFWAは、(移民である)フィリピン系労働者のストライキに共鳴し、アイルランドからの移民の子孫であるRobert Kennedyは、いちはやくCesar ChavezとNFWAの行動に賛意を示しました。ここからは故郷を失った人々や故あって故郷をさった人々どうしの「共感」が伺えます。それは、例えば、オクラホマからカリフォルニアへ移住する農民一家を主人公にした、スタインベックの小説『怒りの葡萄』(ここでも葡萄が登場する)にアイルランド系の映画監督、John Fordが共感し、映画化を実現し、オクラホマ出身のフォーク・シンガー、Woody Guthrieがこの映画に共感して"Dust Bowl Ballads"で数々の名曲を作ったこととも同じ性質のものだと思います。

 デラノのストライキを契機として、いくつかの動きがありました。例えばブラックパンサーからの影響を受けて、メキシコ系の高校生を中心に先鋭的な政治集団「ブラウンベレー」が結成され、また、テキサスでは、1967年に結成された人権団体、MAYO(the Mexican American Youth Organization)を母体として、1970年メキシコ系住民の待遇改善を進める人権団体、RUP(Raza Unida Party)が結成されました。RUPは、とくにテキサス南部に影響力をもったということです。

http://brownberets.info/
http://en.wikipedia.org/wiki/Brown_Berets
http://www.tshaonline.org/handbook/online/articles/RR/war1.html
http://members.tripod.com/~larazaunida/hist.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Raza_Unida_Party


 以下、無断転載ですが、youtubeにあったLittle Joeの映像へのコメントから。日本で例えるなら、「労音」を回っていた、というようなことでしょう。多分下の文にあるLa RazaはRUPのことであり、彼らが運営したのが、Labor Camp Dance Hallのことを示すのでしょう。

http://jp.youtube.com/watch?v=BOXkv81S24E

"Tejano Legend Souls at their best . Thanks for posting . Brown and proud . Sinton,Tejas . In his youth Little Joe use to come to play at the Labor Camp Dance Hall in Sinton,Tejas and he has always been for La Raza and our proud culture and is a very humble human person ."

 以上はほんの一部ですが、チカーノの組織力やネットワークの構築力を感じさせるできごとです。もちろん、当時の若い音楽家たちが、なんらかのかたちで(例えば営業面でも)RUPのような組織やネットワークの影響下にあったのは上記の文面からも明らかでしょう。

 1960年代カリフォルニアにおける労働問題に端を発したチカーノ運動は、労働者の待遇改善という問題意識からやがてメキシコ系住民の人権問題に発展し、学生運動や芸術家の表現にかかわる運動への展開も示しました。

 ロックのフィールドにもサンタナをはじめとする「ラテン・ロック」が台頭した、ということになります。

 おおまかにいってカリフォルニア北部、サンフランシスコ周辺で1960年代後半に登場したサンタナたちと、ロスアンジェルス周辺のイーストLAの音楽家たち、1959年に亡くなったRichie Valensをはじめとし、1960年代に活躍したThee Midnightes,近年ではLos Lobos という名前を挙げることができます。

http://jp.youtube.com/watch?v=gMOBBho_Y3I
http://jp.youtube.com/watch?v=Wq3gUqqQTCE
http://jp.youtube.com/watch?v=fMOySSWPRN0

 彼らに共通する特徴は、サンフランシスコ、ロスアンジェルスという音楽の巨大産業が展開されている都市で活動していた、ということと、日常生活はともかくとして、積極的にアングロアメリカンの社会にとけ込み、音楽ビジネスの中枢に入り込むチャンスがあった、ということでしょう。
 
 Richie Valensの"La Bamba"ほかごく一部を例外として、ほとんどのアーティスト、グループが英語の曲を歌っていました。L.A.ロカビリーのスターに、明らかにメキシコ系と思われるシンガーもいましたが、勿論彼らも英語で歌っていたのでしょう。

 西海岸の音楽家が、本格的にスペイン語で自己主張しはじめたのは、ずっとあとになって、いわゆるChicano Rapくらいからじゃないでしょうか。

http://jp.youtube.com/watch?v=5lbdMjJyRn4

ここで描かれているローライダーなどの風俗(あとズートスーツ)は1950年代からあり、メキシコの詩人、オクタビオ・パスは、『孤独の迷路』のなかで、もっともメキシコの本質を体現しているのはロスアンジェルスのパチューコだ、と指摘していました。

 さて、こうした社会状況、音楽状況のもと、Little Joeは1960年代後半から70年代にかけて、精力的に音楽活動を展開します。




 

 
 















 

 




 
 

 


nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Little Joe とChicano Movement(2) [テックスメックス]

今回は前回に引き続きチカーノ運動を取り上げてみます。

まず最初は、メキシコ移民の歴史の展望から。

 米国におけるメキシコからの移民の歴史は古く、1845年〜1854年の米西戦争、1846年〜1848年の米墨戦争にまでさかのぼることができる。しかし米墨両国の領土画定以降では、20世紀初頭、米国経済の急成長に伴う農業や建築、鉄道敷設などにおける労働力の必要から、そしてメキシコ革命(1909年)以後の政情不安などの理由から、メキシコからの移民(=チカーノ)流入が急増した。

 その後、大恐慌などの影響で移民の数は減少傾向を示すが、第2次世界大戦中は、再び増加傾向を示した。1942年に米国政府が戦時労働力を確保するための政策、「ブラセロ計画」を実施、その結果として、メキシコからの短期労働力確保が計られたからである。

 ブラセロはスペイン語で雇用者を意味し、当初は1947年に終了するはずだったが、農園経営者などからの要請により1951年まで継続、そして1952年には「第2次ブラセロ計画」が実施され、結局1964年に終了(Wikipedia;外国人労働者、では1965年となっている)。この間、約500万人のメキシコ人労働者が米国に流入し、総計2億ドルが故国に送金された、といわれている(『エスニック・アメリカ』(有斐閣、初版)、167頁)。

 米国政府指導による大量のメキシコ人労働者流入は、労働予備軍(不就労者)の発生、賃金の改善停滞などの問題を生み、彼らを貧困と差別的状況に追い込んだ、との指摘もされている。また産業構造の変化により、農村部から都市部にメキシコ人労働者が流入し、都市のバリオが形成され、都市における恒常的な失業問題が顕在化していった。

 おおよそ以上の通りですが、Little Joe のバイオグラフィーに当てはめてみると、こうした移民の動向とかなり一致していることがよくわかります。彼の父、Salvador "La Cotorra" Hernandezが、ブラセロ計画にのって米国に移り住むようになったかどうかは定かではありませんが、当時の時流にのって彼が米国に移り、綿花農場や鉄道敷設などの労働に従事したのは明らかでしょう。

 その息子であるLittle Joeも、10代の若いころは綿花畑で綿摘みに従事していた、ということになります。

 このような状況のもと、ヒスパニック系労働者の待遇改善を求めて展開されたのがChicano Movementということになります。

 この運動の概要を理解するためには、Cesar Chavez(1927-1993)の動向に注目したいと思います。

 彼はメキシコ人農業労働者のための組合を組織し、それを全米的な規模に拡大し、労働運動にダイナミズムを持たせた人物であり、現在でも全米で最も偉大な人権運動家のひとりといわれています。

 本筋からははずれますが、Cesar Chavezに関連する労働運動のポスターをご紹介しましょう。1968年、カーネギーホールで開催された、カリフォルニアの葡萄園労働者へのベネフィットコンサートです。米国のジャズやロックのファンにはおなじみのイラストレーターで、日本のイラストレーターたちにも大きな影響を与えたPaul Davisによるもの。

http://www.americaslibrary.gov/aa/chavez/aa_chavez_peace_1_e.html

 彼のことを紹介した映像は以下のとおり。

http://jp.youtube.com/watch?v=e7GCCBIgFaQ

 Little Joeは、1993年のManuel Penaのインタビューで、彼に興味をもったことや、彼に会ったことに触れています("Musica Tejana",p.166)。

 Cesar Chavezのバイオグラフィーは以下のとおり。

http://en.wikipedia.org/wiki/Cesar_Chavez
http://clnet.ucla.edu/research/chavez/bio/

 Cesar Chavezは1942年(15歳)ころから綿摘みの仕事に従事し、1952年からはラテン系労働者の権利を守るための組織、CSO(Community Service Organization)を組織し、その後、Dolores HuertaらとともにNFWA(National Farm Worker Association、後のUFW(United Faemers )を結成した。

 1965年9月8日、カリフォルニア州デラノ(ロスアンジェルの北西にある小都市)の葡萄園におけるフィリピン系労働者が待遇改善を求めストライキを敢行したとき、彼らを支持し支援したのがCesar Chavezを中心とするUFWだった。半年後Cesar ChavezとNFWAは、(ストライキの発端となった)デラノから州都であるサクラメントまでの葡萄園労働者の行進を実行し、カリフォルニア全域のヒスパニック系葡萄園労働者のストライキを実現した。NFWAは葡萄園労働者のストライキをサポートするために、全米市民に、食用の葡萄(テーブルグレープ)をボイコットするよう求めた。このストライキは5年の歳月に及び、全米の注目を浴びた。Robert KennedyはCesar Chavezの支持を表明した(その後の米国民主党とメキシコ系労働者組織との関係は今日にまで及んでいる)。この事件は、結局労働者側の勝利に終った。米国ではじめて農業労働者が労働争議において勝利を収めた事件として歴史に刻まれることとなった。

 以上が歴史的事件であるデラノのストライキの概要であり、この事件が米国に住むメキシコ系住民に多くの勇気を与えた事は容易に想像できると思います。

 次回は、チカーノ運動当時の音楽状況などについて触れてみることにしましょう。

Little Joe と Chicano Movement [テックスメックス]

ご無沙汰しております。


 今回は60年代後半から70年代にかけてのLittle Joeの動向を軽く展望し、その後チカーノ運動に触れてみようと思います。

 60年代、Orquestaの新しい世代として評価の高まっていったLittle Joeですが、同時に願いかなわなかったメインストリームへの憧憬も持ち続けていたようです。そして60年代後半、米国はRock Music ,Soul Musicの台頭、さらにはBlack PowerやStudent Power、Chicano Powerなど、ラジカルな市民運動の隆盛も顕著になり、それらのいくつかは、さまざまなかたちで彼に影響していきました。

 以下、彼の動向をフォローしてみると。

 1967年に古い友人、Tony "Ham"Guerreroを迎えバンドのパワーアップを図った。それは、もちろん全米ヒットを狙うための補強であり、そうしてできたアルバムが、"Arriba"だった(筆者未聴)。
 Little Joeは1968年、自身のレーベルを立ち上げ、スペイン語の録音はBuena Suerte、英語の録音はGood Luckとし、さらに後年3番目のレーベル、Leona Recordを加えた。バンドとしては、Latinairesを解消し、新たにLa Familiaを結成。

 このLatinairesからLa Familiaへの変化について、彼は以下のように語っている。
 「…60年代後半、ベイエリア、サンフランシスコ周辺で演奏しているころ、次第に"Latinismo"が気になり始めた。それは、まさに60年代後半から70年代初めの間で、"Santana"が登場し、彼らに続き、多くのグループがベイエリア周辺から登場していった。その頃、"Latinismo"、"cultura"を意識し始めた。スペイン語で話す事がかっこいい(Hip),と思うようになり、それから何かが起こり始めたんだ。そして変化することが必要だ、と気づいたんだ、Latinairesから、もっと家族的な、ルーツ的なものに近づくような変化が」(MusicaTejana,165-166.)

 この発言からは(回想ということを差し引いても)、当時の社会精神ともいえるルーツ回帰志向も伝わってくるが、同時に、(サンタナのような)ベイエリアのメキシコ系ミュージシャンのメインストリームへの登場に対するジレンマも感じられる。

 こうして、彼らの70年代の活動が始まるわけですが、具体的な動向は次回以降で触れるとして、ここで、1960年代、米国西海岸を中心に展開された、チカーノ運動(Chicano movement)について触れてみようと思います。 

 この運動は、Little Joeが活躍した時代に多大な影響を与えており、(ずいぶん間があいてしまいましたが)前回からの続きとしてお読み頂ければ幸いです。
 
 1960年代のLittle Joeの動向を展望していて無視できないのが、チカーノ(Chicano)ということば。

 とりあえずウイキペディアで調べてみると。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8E

 語源について、明確な説は決定できない模様ですが、いろいろあるようです。

「チワワのメヒカーノ」(米国在住の、現チワワ州出身のメキシコ人商人のこと)から「チカーノ」になった、という説は、音の響きだけからだと説得力がありますね。

 ルーベン・サラサールによれば「チカーノとは、自分自身にアングロサクソンのイメージを持たないメキシコ系アメリカ人」(1970年の定義)となり、またマルコス・サンチェス・トラキリノは「昨今、チカーノという語の意味が拡散していく現状を踏まえて、彼は新たに「USメキシカン」という言葉を使うことを提唱してる。この言葉は、「メキシコ系」で「アメリカ在住」である人になら誰にでも含まれる、チカーノの最も広い意味と合致する言葉である。」(以上はウイキペディアからの引用)

 ついでにチカーノ運動で検索かけるとチカーノ・ナショナリズムという項目に遭遇。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

という訳で、次回からは、チカーノ運動へ。

nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の10件 | 次の10件 テックスメックス ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。