ボタン・アコーディオンの歴史(2) [テックスメックス]
明けましておめでとうございます。
ほんとに気まぐれに進めているテックスメックスのご案内。
だいぶインターバルがあいてしまいましたが、アコーディオン、テックスメックスへの興味は途切れることなく持続しております。
今回は、ボタン・アコーディオンの歴史。2回目
ボタン・アコーディオンが中南米、カリブ海周辺に伝播していったプロセスがテーマです。
といっても大げさなものではなく、わたし個人の経験や、気になった映像からアコーディオンにかかわる部分を抽出し、それらを整理していこうと思います。
まず、わたしがはじめて中南米の音楽にボタン・アコーディオンが関わっていたのを知ったのドミニカのメレンゲ、ルイス・カラフでした。
http://www.youtube.com/watch?v=tirRDa3EjSA
カラフの映像(アコが入っているもの)はなかなか見つかりませんでしたが、別の人の演奏で映像を探してみると。
http://www.youtube.com/watch?v=X_SuNkk7ts0&feature=related
Fefitaの素晴らしい演奏。祝祭的な雰囲気が現代にも息づいている、という印象。
彼女のライバル(?)、マリア・ディアスも紹介します。彼女は、昔アルバムを買いました。
http://www.youtube.com/watch?v=WRiR1Qiwxn0&feature=related
メレンゲは、最初トレスとかクワトロみたいな弦楽器で演奏されていたようですが、19世紀後半、ドイツの商人がタバコ用喫煙具を売りにきたとき、アコーディオンがドミニカにもたされ、以後、弦楽器にかわってメインの楽器になったとされています(ウイキペディアより)。
次はお隣のハイチ。
タブーコンボの名曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=UCOmngpsW60&feature=fvw
ニューヨークシティー。アコーディオンが聴こえてきますが、ボタン・アコかどうかはわかりません。
こんな映像もあります。ご参考まで。なお映像のアコはクロマチック。しかも演奏とは無関係の映像のようですね。
http://www.youtube.com/watch?v=oEyNdieOeqU&feature=related
実は、以前タブー・コンボが来日したとき、1曲だけピアノの人がボタン・アコーディオン(ダイアトニク)を持ち替えて演奏をしたのを見ました。
ドミニカ、ハイチは、同じイスパニューラ島にあり、複雑な歴史的バックグラウンドをもっていますが、面白いのは、ドミニカでは3連のボタンアコーディオンが長きに渡り使用され、ハイチでは、その時々で、ボタン・アコーディオンでも、ダイアトニックからクロマチックへ、さらに鍵盤アコーディオンへと進化していった、時代的な変遷がある、ということ。
この比較は、たんなる思いつきの域をでませんが、黒人も演奏していたかもしれないけど、スペイン系の白人がメインだったドミニカではアコーディオン奏者も職人気質で当初の原型的な楽器=ボタン・アコーディオンにこだわりをもっていた。
それに対して、黒人政権の国ハイチでは演奏者も当然黒人であり、進取の精神が旺盛で新しもの好きな、黒人の嗜好傾向を示しているのではないか。
そんなことを思い浮かべました。
次はコロンビアから。
リサンドロ・メサ。
素晴らしい演奏がたくさんありますね。
http://www.youtube.com/watch?v=Dk3IfkAqkgI
http://www.youtube.com/watch?v=hXAY7h-VwBQ&a=GxdCwVVULXdMyj56MMQy5oFmQyTk_jk8&list=ML&playnext=1
次はパナマから。
カーニバルのフェスみたいです。
http://www.youtube.com/watch?v=Kfiu09hyyKk&feature=related
これらの映像に出ているアコーディオンは実際の生活のなかでは、どのような役割を示していたのか、またどのような位置づけだったのか。ガルシア・マルケス『百年の孤独』には、アコーディオンに関する活き活きとした描写があります。
コロンビアのクンビアも、メレンゲと同様、当初主流だった弦楽器が、西洋から入ってきたアコーディオンに主役の座をとって代わられたようです。
それぞれの音楽の背景には、アフリカやヨーロッパ、現地のフォルクローレなど、様々な要因が絡み合っているんだけど、そうしたバックグラウンドのもと、19世紀には新しい楽器であったアコーディオンに対して、様々な感性が結集し、新しい音楽が生まれた、ということが言えるかもしれません。
次に、テキサス州サンアントニオで行われている、国際アコーディオンフェスを紹介します。これは2009年のもの。いろいろあります(ボタン以外も)。
http://www.youtube.com/watch?v=yh3MUA6PtUI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fz9Fiq0nKtU&feature=related
テキサス、ドミニカ、ブラジルのセッションですね。
以上、かなりラフにカリブ海周辺のアコーディオン音楽を展望してみました。
大まかにいって、1820年代にドイツで発明されたボタン・アコーディオンがカリブ海諸国や中南米諸国に波及していった。
だいたい1860年代から19世紀後半にかけて、ということになります。
ホーナー社のアコーディオンは1860年代には商品化されていました。
楽器の進化も踏まえれば、やはり19世紀後半には、ある程度楽器としての条件が整った製品としてのアコーディオンが中米各地に普及していった、と考えられます。
では、メキシコ北部、いわゆるノルテーニョと呼ばれる音楽が盛んだった地域へ、ボタン・アコーディオンはどのように伝播していったのでしょうか?
以下、次回、取り上げてみたいと思います。
ほんとに気まぐれに進めているテックスメックスのご案内。
だいぶインターバルがあいてしまいましたが、アコーディオン、テックスメックスへの興味は途切れることなく持続しております。
今回は、ボタン・アコーディオンの歴史。2回目
ボタン・アコーディオンが中南米、カリブ海周辺に伝播していったプロセスがテーマです。
といっても大げさなものではなく、わたし個人の経験や、気になった映像からアコーディオンにかかわる部分を抽出し、それらを整理していこうと思います。
まず、わたしがはじめて中南米の音楽にボタン・アコーディオンが関わっていたのを知ったのドミニカのメレンゲ、ルイス・カラフでした。
http://www.youtube.com/watch?v=tirRDa3EjSA
カラフの映像(アコが入っているもの)はなかなか見つかりませんでしたが、別の人の演奏で映像を探してみると。
http://www.youtube.com/watch?v=X_SuNkk7ts0&feature=related
Fefitaの素晴らしい演奏。祝祭的な雰囲気が現代にも息づいている、という印象。
彼女のライバル(?)、マリア・ディアスも紹介します。彼女は、昔アルバムを買いました。
http://www.youtube.com/watch?v=WRiR1Qiwxn0&feature=related
メレンゲは、最初トレスとかクワトロみたいな弦楽器で演奏されていたようですが、19世紀後半、ドイツの商人がタバコ用喫煙具を売りにきたとき、アコーディオンがドミニカにもたされ、以後、弦楽器にかわってメインの楽器になったとされています(ウイキペディアより)。
次はお隣のハイチ。
タブーコンボの名曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=UCOmngpsW60&feature=fvw
ニューヨークシティー。アコーディオンが聴こえてきますが、ボタン・アコかどうかはわかりません。
こんな映像もあります。ご参考まで。なお映像のアコはクロマチック。しかも演奏とは無関係の映像のようですね。
http://www.youtube.com/watch?v=oEyNdieOeqU&feature=related
実は、以前タブー・コンボが来日したとき、1曲だけピアノの人がボタン・アコーディオン(ダイアトニク)を持ち替えて演奏をしたのを見ました。
ドミニカ、ハイチは、同じイスパニューラ島にあり、複雑な歴史的バックグラウンドをもっていますが、面白いのは、ドミニカでは3連のボタンアコーディオンが長きに渡り使用され、ハイチでは、その時々で、ボタン・アコーディオンでも、ダイアトニックからクロマチックへ、さらに鍵盤アコーディオンへと進化していった、時代的な変遷がある、ということ。
この比較は、たんなる思いつきの域をでませんが、黒人も演奏していたかもしれないけど、スペイン系の白人がメインだったドミニカではアコーディオン奏者も職人気質で当初の原型的な楽器=ボタン・アコーディオンにこだわりをもっていた。
それに対して、黒人政権の国ハイチでは演奏者も当然黒人であり、進取の精神が旺盛で新しもの好きな、黒人の嗜好傾向を示しているのではないか。
そんなことを思い浮かべました。
次はコロンビアから。
リサンドロ・メサ。
素晴らしい演奏がたくさんありますね。
http://www.youtube.com/watch?v=Dk3IfkAqkgI
http://www.youtube.com/watch?v=hXAY7h-VwBQ&a=GxdCwVVULXdMyj56MMQy5oFmQyTk_jk8&list=ML&playnext=1
次はパナマから。
カーニバルのフェスみたいです。
http://www.youtube.com/watch?v=Kfiu09hyyKk&feature=related
これらの映像に出ているアコーディオンは実際の生活のなかでは、どのような役割を示していたのか、またどのような位置づけだったのか。ガルシア・マルケス『百年の孤独』には、アコーディオンに関する活き活きとした描写があります。
コロンビアのクンビアも、メレンゲと同様、当初主流だった弦楽器が、西洋から入ってきたアコーディオンに主役の座をとって代わられたようです。
それぞれの音楽の背景には、アフリカやヨーロッパ、現地のフォルクローレなど、様々な要因が絡み合っているんだけど、そうしたバックグラウンドのもと、19世紀には新しい楽器であったアコーディオンに対して、様々な感性が結集し、新しい音楽が生まれた、ということが言えるかもしれません。
次に、テキサス州サンアントニオで行われている、国際アコーディオンフェスを紹介します。これは2009年のもの。いろいろあります(ボタン以外も)。
http://www.youtube.com/watch?v=yh3MUA6PtUI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fz9Fiq0nKtU&feature=related
テキサス、ドミニカ、ブラジルのセッションですね。
以上、かなりラフにカリブ海周辺のアコーディオン音楽を展望してみました。
大まかにいって、1820年代にドイツで発明されたボタン・アコーディオンがカリブ海諸国や中南米諸国に波及していった。
だいたい1860年代から19世紀後半にかけて、ということになります。
ホーナー社のアコーディオンは1860年代には商品化されていました。
楽器の進化も踏まえれば、やはり19世紀後半には、ある程度楽器としての条件が整った製品としてのアコーディオンが中米各地に普及していった、と考えられます。
では、メキシコ北部、いわゆるノルテーニョと呼ばれる音楽が盛んだった地域へ、ボタン・アコーディオンはどのように伝播していったのでしょうか?
以下、次回、取り上げてみたいと思います。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
by ベアトラック (2011-01-02 20:34)
ベアトラックさん
あけましておめでとうございます。
こちらこそ、よろしく。
本年もよろしくお願い申し上げます。
by 長谷雅春 (2011-01-03 00:07)